「地球がなくなってしまう」

 

という表現を使う人がいる。環境問題に携わる人など、生物や人類の危機を表す時に、「このまま人類が環境を破壊し続けると地球がなくなってしまいますよ!」といった具合で使う。

別に「地球がなくなる」という表現をしている人を否定したいとは思わない。彼らは素晴らしい思いをもって活動されている人々だろうからである。

 

ただ私は、ひねくれているのかもしれないが、

 

「地球はなくなりはしない。」

 

と僕はその時思ってしまうのだ。

 

なんとなく私はこの「なくなる」表現があまり好きじゃない。

なぜなら、、

 

あらゆる生物が滅びようとも、地球は滅びたり、消え失せたりなんてしないからである。

動植物が滅びようが人類が滅びようが、地球にとっては痛くも痒くもなく、

ただ(※人間や多くの生物にとっては)汚染された環境と共に宇宙にたたずみ続けるのみである。

 

「地球がなくなる」という表現は、

➀まさに人類にとっては人類がこの星で住めなくなる事はほぼ”世界の終わり”を意味している。

②いまのところ世界=地球上 である。

➀+② よって人類が地球に住めない=地球がなくなるというイメージ

になるからであろう。

 

しかし、これは結局人間が自分中心に世界を捉えている証拠でもあると思う。

いい悪いではなく、結局人間とは世界を自分たちの目線でとらえがちであるという事である。

 

 

また「地球が悲しむ」という表現がある。

・地球という存在を擬人化または神格化し、環境を痛めつけたら、地球という人格が悲しむというような同情心だったり、もしくは、神のような地球という神格が”怒る”といった恐れや畏敬の念に起因している。

 

そういった考え方は極めて人間的であり、否定したいわけではない。

 

ただ、一つ思うのは、地球は恐らく悲しまない。

むしろ人類なんてもしかしたらいない方が他の生物にとってはハッピーだろう。

 

 

地上でどんな事が起きようが、

ただただ地球という巨大な球体は宇宙に堂々と佇み、流れていくのみである。